「レスラー」(2008)
公開初日に、日本のトップ・レスラーが他界するという、なにか因縁めいたものを感じずにはいられないこの映画の主人公・ランディ・“ザ・ラム”・ロビンソンにとって、プロレスとは、もう「麻薬」のようなものだ。奇しくも、本作の監督は、薬物依存の恐ろしさを描いた「レクイエム・フォー・ドリーム」のダーレン・アロノフスキー。衰えた肉体が悲鳴をあげていても、雀の涙ほどのギャラしかもらえなくても、リングに上がり続ける。そこには、数は少ないけれど、声援を送ってくれる観客がいるし、自分をリスペクトしてくれる若い同僚がいる。つまり、孤独から逃れることができる。
アルバイト先のスーパーの厨房の通路を通っている時も、観客の声援の幻聴を聞き、自暴自棄になれば、電話一本で、あっさり引退を撤回する。ステロイドなどにも頼っているけど、精神も完全にプロレスに依存しきっている。止めることができない。
そんなランディも、失った家族を取り戻そうと努力するが、結局、彼はリングのうえから、マイクで叫ぶ。俺の家族は、お前たちファンだと。プロレスファンが、気まぐれで移り気なことを痛いほど知っているはずなのに。「俺の引退を決めることができるのは、お前たちだけだ」。お約束的なリップ・サービスだけど、そこに「自分自身では引退を決断できない。助けてくれ」という心の叫びが隠されていると勘ぐるのは、穿ちすぎか。
クライマックスの試合、コーナーポストに上ったランディが、ダイビング・ヘッドバット(ラム・ジャム)の敢行をアピールするため、両腕を振り上げる。そして顔がアップで映される。あの時、ランディは笑っていたのか、それとも泣いていたのか。あのワンシーンで、それまで涙腺を緩めまいと耐えていた僕も、ついにギブアップしてしまったのでした。